さらにこちらでは
中国は2017年に「南京大虐殺記念館」の10年ぶりの改修を終えリニューアル・オープンした。
記念館は鄧小平の「愛国主義教育を推進する」という指示の一環として1985年に初めて建設された。
敗戦直後の南京や東京での裁判でこそ南京事件が取り上げられたが、あり得ない話だということもあってその後はほとんど忘れられていたと言っても過言ではない。
これを中国の愛国主義教育に結びつける発火点とみられるのが、朝日新聞記者の本多勝一氏による「中国の旅」のルポルタージュ(取材1971年6~7月)で、同年8月から12月まで全40回にわたって同紙に掲載された。
この旅は中国共産党中央委員会が招待し、「中国各地を引き回し、共産党がお膳立てした『語り部』に日本軍によって受けた『被害』を本多に語らせた」(藤岡信勝「日本虚人列伝『本多勝一』」(『正論』平成30年2月号所収)ものである。
ルポは満州事変の発端となった柳条湖から始まる。
本多氏は1960年代後半からベトナムでの取材を始めるが、その際体制側のお膳立てや協力で取材をするようになる。
こうした取材形式について、本多氏自身が「『取材』ではあり得ない。しいて分類すれば『儀式』に近いだろう。儀式の中では、民衆はホンネを語らぬものだ。タテマエだけを聞いて歩いて、あたかも自由な取材であったかのようなルポを書くわけにはゆかぬ。それではいわゆる〝盲従分子″になるだけであり、ジャーナリストの自殺行為になろう」(『ベトナムはどうなっているのか?』)と述べる。
「中国の旅」は正しく「自殺行為」を行ったわけで、出だしから混乱がある。
■ ルポで現地を見なかった?
本多氏は日本人の理解と異なるのではないかなどの批判を受けるたびに、あくまでも現地人が語ったことを筆記したもので、自身の見解ではないということを主張してきた。
「歴史上の『現場』は、生存者の記憶の中に具象として直接生きていますからね」と述べる通りである。
そうすると、事件が起きた場所の名前など間違うはずもないであろう。
ところが本多氏が撮った写真の立て札には「柳条湖事件」と明記されているが、説明の中国人は「九月一八日、日本軍はみずから柳条溝の鉄道を爆破したのです」と語ったのだ。
筆者が見ている文庫本『中国の旅』(第21刷発行)では、「注」で「柳条湖は日本で長いあいだ『柳条溝』と誤記されてきた」として、江口圭一氏の著書や同氏の朝日新聞(1986年9月11日夕刊)寄稿文を参照として挙げている。
江口氏の朝日新聞記事では、中国遼寧大学の徐建東・王維遠による論文「九一八事件肇事地名考」(『遼寧大学学報』1981年第二期)で、「柳条溝が誤りで、柳条湖が正しい」ことが確認されたとしている。なんと回りくどい訂正であることか。
ともあれ、1981年に中国人が確定するまでは「柳条溝」で通っていたと言わんばかりであるが、日本人の先行研究があることに言及しないのは、江口氏も本多氏も不誠実である。
日本近現代史の研究者である島田俊彦・武蔵大学教授は1967年(昭和42年)、事件発生地の本来の地名が「柳条湖」であることを知り、1970年(昭和45年)に改めて「柳条湖事件」の呼称を提唱している。
本多氏が連載2回目に掲載した写真の立て札「日本軍国主義侵華的鉄証」には明瞭に「柳条湖事件」と書いてある。
当時は日本陸軍が侵略戦争を進めていったとする「十五年戦争論」の研究者が優勢で、防衛庁(当時)の史料などを用いて史実の多様な側面を考究しようという島田教授の研究を江口氏も本多氏も無視したのであろう。
ちなみに、江口氏の『十五年戦争の開幕』(「昭和の歴史」第4巻)によると柳条溝は3か所((1)柳条湖の北北東約24キロ、満鉄線から東へ約10キロ、(2)柳条湖の北東約38キロ、満鉄線から東へ約24キロ、(3)鉄嶺の近く)実在するそうである。
中国人が話す暴行や虐殺の状況などを聞き書きしたというのであれば、立て札からも分かるように、現地は紛れもなく「柳条湖」でなければならない。
それを「柳条溝」に改変し、しかも10年後に中国人の研究で確定したというのでは話が支離滅裂ではないだろうか。場所の確認は取材の「いろは」であろう。
「柳条湖」に立ちながら「柳条溝」とした不自然な「中国の旅」のルポは出だしのこの一点をもってしても信憑性が疑われる。
■ 満州事変や先行研究が教える「柳条湖」
本多氏ともあろう人が、取材するに当って満州事変や先行研究に目を通さなかったのであろうか。
それとも、日本陸軍が満州事変以降、支那大陸への侵略を続けたとする十五年戦争論に根差す、いわゆる東京裁判史観に立ち、日本の侵略性を印象づけようとすることからきたのであろうか。
戦史を紐とけば、爆破実行部隊から奉天の特務機関及び独立守備第2大隊本部に届いた第一報は、「北大営西方鉄道線路支那正規兵ノ為ニ破壊セラレ、又三、四百ノ支那兵ハ柳条湖分遣隊ニ向ヒ攻撃前進中ニテ我ガ巡察兵ハ目下支那兵ト交戦中」となっていた。
また、参謀本部が1935年に編集した『満州事変史』(一九三四~五年刊)でも「支那正規兵(兵力三、四百名)ハ突如柳条湖(奉天駅北方約7キロ半)付近満鉄本線ヲ爆破スルノ暴挙ヲ敢テセリ・・・」と書いている。
こうした資料があり、また本人が現場に立ったにもかかわらず、ルポ第2回の表題を「柳条溝にセミしぐれ」としたのは意図的とみられても致し方ないのではないだろうか。
ある論考では、満洲事変を策謀した一人である関東軍の高級参謀板垣征四郎大佐は奉天特務機関に陣取り、所要の部隊に出動命令を発して戦闘に入らせたとされる。
そのとき駆けつけてきた奉天総領事館の森島守人領事に対して、発生地点を何らかの理由で「柳條溝」と伝えたとされる。
その結果、外務省やマスコミでは「柳条溝事件」として報道されたが、関東軍や日本陸軍、そして満州国は1935年頃までに「柳条湖」に訂正。一部では混用も見られたようであるが、1940年前後の報道は概ね「柳条湖」を使用するようになる。
本多氏が主張する「歴史上の『現場』」に立てば、「柳条溝」はあり得なかったはずである。
東京裁判では陸軍の謀略性を際立たせる意味からあえて混用された節があるが、やはり東京裁判史観がもたらした「柳条溝」であろうか。
■ デジャビューがもたらす倒錯
「柳条湖」と「柳条溝」とは一字違いでしかないが、「溝」の使用は事件現場に関係ない別の場所を特定していることになる。
例えて言えば、真珠湾(在ハワイ)を金門湾((在サンフランシスコ)と強弁しているようなものである。
本多氏は「中国人が千何百万人も殺されたというような事実を、一般の日本人は噂ていどに、抽象的にしか知らず・・・」という。
それは日本が「質と量をともなう記録として国民に知らせる努力をしたとは考えられない。これは日本のすべてのジャーナリズムの責任でもある」と述べる。
他方で「中国人にとっては、『日本軍国主義』は抽象的な言葉や数字ではなく、自分の肉親が殺され、家を焼かれた具体的風景なのだ。どんな風景なのかを少しでも日本人が理解すれば、今の中国の警戒心も理解することができるであろう」という。
こうした意識から、ジャーナリストとして、「中国の旅」で責任を果そうとしたわけで、大層な義侠心の持ち主でもあるようだ。
しかし、どうやら、本多氏は当時の日本の戦史や自社が発刊した新聞さえ読まなかったか、読んでも無視し、あるいは、中国側に立つことから日本の戦史や先行研究には無関心となったのだろうか。
日本=犯罪者という図式のデジャビュー(既視感)かも知れない。
こうして相手の話を鵜呑みにし、また自分の歴史観を織り交ぜる形のルポをしたとしか思えない。従って、日本人からしばしば疑問が呈されても動じることなく、どこまでも相手の言い分と釈明してきた。
自社の新聞やアサヒグラフを含め、他社や外紙の報道などとの矛盾も突かないで、相手からの一方的な聞き取りで事実が確認できると思うほど浅薄なジャーナリストがジャーナリストと言えるのだろうか。
正しい地名を後発の中国人研究で確定したとする事実から浮かび上がってくることは、単に「地名」の問題ばかりではなく、当時の原史料よりも何十年も後の脚色された発言を信じる倒錯である。
■ 『中国の旅』は創作?
既述の文庫本では、『瀋陽日報』新聞の編集者である董誠実という中国人が、「九月一八日、日本軍はみずから柳条溝の鉄道を爆破したのです」と語っているが、他の箇所が「注」に基づき「柳条湖」に訂正されているので、訂正し忘れた単純ミスと好意的に見ていいだろう。
しかし、初めの出稿以来、中国人の説明者が「柳条溝の鉄道を・・・」と語った不思議というか疑問は依然として残る。ことここに至っては、「弘法も筆の誤り」では済まされないであろう。
「画龍点睛を欠く」というが、中国人の言葉を正しく伝えなかったことと、自分の史観を入れ込んだとみられても致し方ないわけで、ルポルタージュの価値はゼロとなってしまったように思える。
かつて中国社会科学院近代史研究所所長であった歩平氏が戦争の犠牲者の数字について「歴史の事実というのは孤立して存在するものではなく、それは感情というものに直接関係している。・・・単に一人ひとりの犠牲者を足していった結果の数字ではありません」(櫻井よしこ氏ほか『日中韓 歴史大論争』)と堂々と述べている。
中国人の話には「感情」が織り込まれているというのである。
愛国のためには、どんなに間違った説明でも、大きな嘘でも許されるとする「愛国虚言」の国である。
この歩平氏の感情を織り込む話や、キャプションを替えて偽の写真を南京の記念館に掲げるような中国であるから、本多氏のルポの計画を受けるにあたって、中国が被害状況展示や説明内容などをもっともらしく仕組んだであろうことは十分に想像される。
こうして出来上がったルポ「中国の旅」は、日本人の振る舞いなどからは想像もつかない事ばかりに仕上がったのであろう。
■ おわりに
「柳条湖」問題は、後に単行本となる20万字を超す『中国の旅』の中のたった数文字、いや極言すれば中国人が語ったとされた1字でしかなく、まさしく九牛の一毛である。
本多氏が「柳条湖」の地名を奉天事件に絡んで「柳条溝」にしたことは万一許容するとしても、中国人が現地を他の場所と間違えて説明したというに至っては、その後に続く「平頂山」「万人坑」、そして「南京」や「三光政策の村」といった「中国の旅」全体を「信頼できない創作」にしてしまったのではないだろうか。
殿岡昭郎氏は『体験的本多勝一論』のサブタイトルを「本多ルポルタージュ破産の証明」としているが、「中国の旅」は出だしから破産していたように思えるがいかがであろうか。
森 清勇
【CNS】中国・福建省(Fujian)竜岩市(Longyan)で25日午後3時過ぎ、ナイフを持った男がバスを乗っ取り、歩行者を次々とはね飛ばした。これまでに8人が死亡しているほか、22人がけがを負った。
警察の初期の捜査によると、容疑者は邱(Qiu)という無職の男(48)。事件当日、居住地の居民委員会の幹部が邱容疑者の父親の恩給証明の手続きのために容疑者宅を訪れた際に口論となり、邱容疑者がナイフで幹部に襲いかかった。その後、バスを乗っ取り、歩行者を次々とはね飛ばした。事件の詳細について捜査が続いている。©CNS/JCM/AFPBB News
※この記事は、CNS(China News Service)のニュースをJCMが日本語訳したものです。CNSは1952年に設立された中華人民共和国の国営通信社です。
鹿児島県沖の日本の排他的経済水域(EEZ)で11月、違法操業の疑いがある中国漁船が、立ち入り検査のために乗り込んでいた水産庁の職員12人を乗せたまま、半日以上、逃走していたことが26日、政府関係者への取材で分かった。同庁は外国人の違法操業などを規制するEEZ漁業法違反の疑いで捜査。外交ルートを通じ、漁船員らを中国国内法で処罰するよう中国側に要請した。一時、漁船に連れ回された職員12人にけがはなかった。
水産庁によると、11月5日午前、鹿児島県西方沖の日本のEEZ内で、違法な底引き網漁をしている疑いがある中国漁船2隻を取締船「白萩丸」が発見した。取締船は漁船を停船させて職員12人が乗り込み、立ち入り検査に着手したが、漁船は命令に反して逃走しながら漁を継続した。
さらに、取締船や、要請を受け駆けつけた海上保安庁巡視船の停船命令を重ねて無視し、日本のEEZ内を航行。漁船に乗り込んだ職員らも、停船して検査に応じるよう説得を続けたが船長らは応じなかった。
取締船は暗闇での取り締まり継続は安全確保が困難で、職員らの身に危険が及ぶと判断。接舷し、同日午後10時過ぎまでに全員を取締船に戻したという。
外国船による違法操業の深刻化を受け水産庁は今年、取り締まり指揮系統の一元化などを図る漁業取締本部の運用を開始。船の強化と防御装備の充実を進めていた。
同庁は今回の事態について「危険を伴う取り締まりは現場の判断が最重要。職員は経験豊富で、安全に十分配慮し対処した。細かく検証し、今後に生かしたい」とした。
韓国大統領府で公務員の汚職などを監視する民情首席室の傘下の特別監察班が、違法に民間人の監視を行っていた疑いがあるとして、韓国検察は26日、同班の事務室や関連施設を職権乱用容疑などで家宅捜索した。聯合ニュースが報じた。事実であれば文在寅政権にとっては大きな打撃となる。
元班員が、同班では民間人の監視を行っているとマスコミに明かし、野党が大統領府高官らを告発していた。元班員は、知人が絡む事件の捜査情報を私的に警察に問い合わせたとして、大統領府から処分を受けていた。
ただ、大統領府は民間人監視疑惑に関して、うその事実を流布させたとして元班員を刑事告発しており、両者の主張は食い違っている。(共同)
国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退決定をめぐり、日本は反捕鯨国との根深い対立に加え、政府内では捕鯨政策をつかさどる水産庁と、国際協調を重んじる外務省との間で激しい駆け引きがあった。「IWCは機能不全」と主張する水産庁に対し、「国際的信頼を失う恐れ」と抵抗する外務省。「IWC脱退を決め、捕鯨もやめるのはどうか」との外務省側の意見も飛び出したが、最後は政治決断での決着となった。
先鋭化
IWC脱退への流れに大きな影響を与えたのは、2014年に南極海での調査捕鯨中止を命じた国際司法裁判所(ICJ)の判決だった。裁判で原告国のオーストラリアはIWCの目的が「捕鯨産業の秩序ある発展」ではなく、鯨類の保存に「進化した」と主張。日本が敗訴したことで、持続可能な捕鯨を求める針路に黄色信号がともった。
その後、日本は新たな計画を練り直し、再び南極海へ船団を派遣。反捕鯨国が共同で「深刻な懸念」を表明し、対立は後戻りできないほどに先鋭化した。「IWCは家庭内離婚状態にある」。同政府代表の森下丈二氏はそう評した。
抵抗
商業捕鯨モラトリアム(一時停止)の解除は「ほぼ不可能」と判断した水産庁は今春ごろから、脱退を視野に入れた本格的な折衝を始める。(1)反捕鯨国は政治的立場からいかなる捕鯨にも反対(2)クジラを諦めればマグロなどの水産資源も同様の危機(3)調査捕鯨の継続は困難-などの理由を掲げ、脱退して、捕鯨推進国を中心に新たに「第2IWC」を作るべきと訴えた。
外交交渉で矢面に立つ外務省はこの動きに抵抗し、官邸や与党議員への説得工作を本格化させた。真っ向から反対姿勢はとらないものの、(1)国際機関から脱退することは国際社会に背を向ける(2)東京五輪や即位の礼、(大阪開催の)20カ国・地域(G20)首脳会議へ影響をもたらす(3)国連海洋法条約違反で提訴されるリスクがある-などと訴え、IWC脱退後の否定的側面を強調した。
決定打
外務省の姿勢は「脱退の時期を先送りさせることで、軟着陸を図ろうとするのが目的」(交渉担当者)。水産庁側の主張と真っ向から対立することもあったが、外務省高官が自民党・二階俊博幹事長の地盤でもある和歌山県太地町を訪れ、伝統の捕鯨文化に理解を示すなど硬軟織り交ぜた態度も見せた。
年9月、反捕鯨国と物別れに終わったIWC総会後、脱退方針は決定的になる。関係他省庁に対しても「箝口(かんこう)令」が敷かれたが、これは環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)や日欧の経済連携協定(EPA)の発効を控え、反捕鯨国を刺激しないためだった。
12月に入っても、「脱退の猶予期間をおくべき」などの意見も出た。しかし、最終的には、ほぼ水産庁側の主張通りに押し切られた。長らくIWC総会や政府内協議で交渉に携わってきた関係者は、「自民党の捕鯨推進派が決定打を与えた」と評した。(佐々木正明)
■菅官房長官談話の要旨
・科学的根拠に基づいて水産資源を持続的に利用する基本姿勢の下、商業捕鯨を来年7月から再開する。国際捕鯨取締条約から脱退する
・持続可能な商業捕鯨の実施を目指して30年以上にわたり、収集した科学的データをもとに対話を進め、解決策を模索してきた
・鯨類の中には十分な資源量が確保されているにもかかわらず、商業捕鯨モラトリアムについて見直しがされていない
・9月の国際捕鯨委員会(IWC)総会でも、鯨類に対する異なる意見や立場が共存する可能性すらないことが、明らかになった。この結果、今回の判断に至った
・国際的な海洋生物資源の管理に協力する考えは変わらない。科学的知見に基づく鯨類の資源管理に貢献する
・IWCが本来の機能を回復するよう取り組んでいく
・来年7月からの商業捕鯨は我が国の領海及び排他的経済水域に限定する
・科学的根拠に基づき水産資源を持続的に利用する考えが各国に共有され、次世代に継承されることを期待する
朝日新聞社



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5:01 PM - 24 Dec 2018
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発覚分だけでも、健康保険の不正請求は巨額で、
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